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赤堀三郎『社会学的システム理論の軌跡-ソシオサイバネティクスとニクラス・ルーマン』

 「『社会学的システム理論の軌跡』という題名が示唆するのは、本書において、社会学的に考えるための道具とされたシステム理論がどういったパラダイムに属するかということが論じられる、ということである」(7)と著者は述べ、システム理論の概念を解きほぐしていく。その試みを通じて、「システム理論は社会学的に見るための道具である」(6)ということが示される。
 まず、社会システム理論は「「社会(的)」+「システム理論」」(15)と位置付けられる。そして、「社会的」を「自我と他我とで観点の違いがあって、あるいは違いがあるにもかかわらず、そのあいだに何らかの秩序が生じているさまを指す言葉」(21)、システムを「多様なものにおける統一」(22)として、「社会的なものこそ、システムと呼ぶにふさわしい」(23)と著者は述べる。また、「社会学的」とは「別様に見る」という「ものの見方」(24)であり、システム理論もまた「ものの見方」(26)として、「システム理論は「社会学的に」ものごとを捉えるための道具でありうる」(27)と指摘する。
 では、ルーマンにおいて社会システムとは何か。それはデュルケームの「社会的事実」やヴェーバーの「社会的行為」と同様に、「社会学固有の対象」(35)であり、「コミュニケーション・システムと等価である」(34)とする。このように社会システムの要素としてコミュニケーションを位置づけることで、「社会システムの存立や安定性といったものをコミュニケーションの継続的作動という面から捉えなおせ」、「たえざる変化のなかの秩序とでもいうべきものを、理性、合意、価値、文化的規範といった旧来の道具立てを用いずにどのように記述しうるかといったテーマも視野に入ってくる(110)」のだ。
 ここで注目すべき概念の一つが「構造的カップリング」、特に社会システムと心的システムとの構造的カップリングである。著者は両システムの関係について次のように述べる。

両システムのあいだで「意味」のやりとりがなされることはない。だが、環境の攪乱がシステムの構造を変化させるという形において、両システムが「意味構成」の仕方に互いに影響を及ぼし合うことはありうる(133)

 そして、これらのシステムは「環境の攪乱のなかで構成素の産出という作動を継続し続けている限り「観察するシステム」(135)であり、それは「セカンド・オーダーの観察」(137)である。このような理論的枠組みは、「さまざまな経験的社会現象の基盤にあるメカニズムを解明するにあたって資するところが大きく、そういった意味で社会学にとって意義を有する」(141)のである。
 また、「社会の進化」について、社会というシステムにおいては「コミュニケーションという出来事において見られる成立の非蓋然性が維持の蓋然性へと変換される」(155)という点が重要となる。つまり、「ありそうもないことが当たり前に起こるようになっていくことが進化」(157)であり、コミュニケーション・メディアが決定的な役割を果たすことになる。このコミュニケーション・メディアが激変する現代において、このテーマは特に注目すべきであろう。
 では、このようなシステム理論によって何が可能となるのか。著者は「システム理論を用いることで「社会学的に」社会を記述する、あるいは「社会学によって自己を記述する社会をもつ」という可能性」(204)を指摘し、次のように語る。

意味を用いて作動するシステムを分析するための一般的な理論枠組み(コード、メディア、観察者等の「システム理論的な」諸概念に基づいた)が必要となる。社会というシステムを扱うには社会学的なシステム理論の整備が急務となるだろう。これには、今ある、あるいは変化の途上になるメディア状況(動画配信・保存技術の確立と普及、さまざまなモバイル端末の登場・普及とそのためのコンテンツの発達など)に即して自己記述概念を捉えなおしていくことも含まれる。(206)

 (社会学的)システム理論に注目して、一つ一つの概念を丁寧に確認し、そこから議論を深めているのが本書の特徴である。また、「第3章 戦後アメリカにおけるサイバネティクス社会学」をはじめ、システム理論の歴史的背景を理解する上でも役立つ。難解なルーマンの研究書と思って避けるのではなく、システム理論という枠組みについて論じた社会学理論の研究書として、ぜひ多くの方に手にしてほしい一冊。