yamachanのメモ

日々の雑感や文献のメモ等

哲学・思想

伊藤潤一郎『「誰でもよいあなたへ」-投壜通信』

「特定の二人称以外に言葉が流れつく先は、誰でもよい誰かだけでなく、誰でもよいあなたでもありうるのではないか」(71)-タイトルにもなっているこの「誰でもよいあなた」という「不定の二人称」について、多数の固有名と日常の出来事を折り込みながら言…

山本圭『嫉妬論-民主社会に渦巻く情念を解剖する』

「嫉妬はいち個人の問題だけでなく、広く政治や社会全体にもかかわるものだ」(21)。この「やり過ごすことのできない嫉妬」(236)という問題を、著者は学問横断的に探求していく。 本書を読み進めていくと、自分がいかに嫉妬に振り回されているかを実感し…

ショーペンハウアーの「意志」概念について

鳥越覚生『佇む傍観者の哲学―ショーペンハウアー救済論における無関心の研究―』合評会に参加。 全体討論で話題になった「意志」概念についてメモ。 ショーペンハウアー『意志と表象としての世界Ⅱ』 意志は、純粋にそれ自体として見れば、認識を欠いていて、…

ルイ・アルチュセール「出会いの唯物論の地下水脈」

東浩紀は、『存在論的、郵便的』において、アルチュセールの「唯物論的伝統の地下水脈」は、「郵便的思考の哲学史を指すものと解釈できる」(141)と指摘している。以下、「郵便的思考の哲学史」を理解するため、「出会いの唯物論の地下水脈」のメモ。 まず…

箱田徹『ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方』

本書は、現代思想の代表的人物の一人であるミシェル・フーコーの思索を、「一九七〇年代後半から八〇年代前半の「後期」と呼ばれる時期を中心に」(5)論じている。なぜ「後期」に注目するのか。それは、この時期に展開されたフーコーの思想は、「理論的かつ…

加國尚志・亀井大輔編『視覚と間文化性』

本書『視覚と間文化性』は、1993年に出版され、2017年に日本語に翻訳された著作、マーティン・ジェイ『うつむく眼-二〇世紀フランス思想における視覚の失墜』に対して、「日本からの応答をなすもの」(4)である。『うつむく眼』で描かれた思想史からは見え…

松葉類『飢えた者たちのデモクラシー レヴィナス政治哲学のために』

本書は、著者である松葉氏が経験した「一人の物乞い」の出来事から始まる。「本書を執筆しながら、私は何度もこの出来事と向かうことになった」(ⅱ)ようだが、私たちもまたそれぞれの具体的な状況を思い浮かべながら本書を読むことになる。レヴィナス政治哲…

明戸隆浩「差別否定という言説-差別の正当化が社会にもたらすもの」(清原悠編『レイシズムを考える』)

論文のタイトルにもあるように、明戸氏は「差別否定」いう概念を提起し、そのメカニズムと対応を検討している。「差別否定」は、「直接的差別」が行われた後で、それを否定したり、正当化したりするもので、「直接的差別」を引き起こす「差別扇動」とあわせ…

堀田義太郎「差別とは何か」(清原悠編『レイシズムを考える』)

「差別ではない、(合理的な)区別である」という言葉を聞くことが少なくない。このような言葉に対して、「その発言自体が差別的である」という批判の声もある。こうした自覚なき差別発言に抗していくためには、これらの発言を批判する側も「差別とは何か」…

アレクサンドル・コイレ「イェーナのヘーゲル」

コイレは、「この時期(イェーナ期)の知的作業はとくに熱烈に肥沃」であり、「決定的な形成期であり、この期間にヘーゲルは自らの武器を鍛えあげる」(103)と述べる*1。 まず、本論文で注目すべき概念の一つに「不安定(l'inquiétude)」がある。「この不…

L・マーフィー/T・ネーゲル『税と正義』

「私的所有は部分的に租税システムによって定義される法的な慣習(convention)である」(6)、「租税構造に先立って所有権といったものは存在しない」(82)、「あなたが実際に稼いだものが課税前所得であり、その後に政府が登場してそのいくらかをあなたか…

ヤン=ヴェルナー・ミュラー『民主主義のルールと精神-それはいかにして生き返るのか』

民主主義の「本来の原理に立ち返る」、かつてマキャヴェッリがそう促したように、ヤン=ヴェルナー・ミュラーは本書で民主主義の「原理」-「一昔前の政治思想家なら精神と呼んだだろう」(8)-を示そうとしている。ミュラーは次のように述べる。 人が正しい…

山崎望[編]『民主主義に未来はあるのか?』

「民主主義に未来はあるのか?」-本書のタイトルになっているこの問いに対して、時間と空間、そして学問領域を超えてアプローチする野心的な一冊である。このような横断性を有する著作は、まとまりの無さ故の読みづらさという欠点を持つこともあるが、編者…

小峰ひずみ『平成転向論-SEALDs 鷲田清一 谷川雁』

「時代性が高く、また切実さを感じさせる文章で好感をもった」と東浩紀氏が本書の帯で語っているように、著者の問題意識-それは現代を生きる私たちも抱え込んでいる問題意識でもある-が書かれた一冊である。 著者が注目するのはSEALDsと鷲田清一、そして谷…

北田暁大・白井聡・五野井郁夫『リベラリズム再起動のために』

リベラル再起動のために、まずは広く横につながることが大切であるが、そのためには最低限共有できる点を確認する必要がある。北田暁大氏・白井聡氏・五野井郁夫氏の三者が同意できることは、以下の点である(116-7)。 ・リベラリズムにおいては機会の平等…

宮台真司・仲正昌樹『日常・共同体・アイロニー』

本書において、宮台真司氏はリベラリズムの「端的な事実性」を説いている。端的な事実性とは、「「人間とはこの範囲だ」とか「我われとはこの範囲だ」といった区別の線引きについての事実性」のことであり、「こうした事実性なくして機能しない」(64)とし…

北田暁大+鈴木謙介+東浩紀「リベラリズムと動物化のあいだで」(東浩紀編著『波状言論S改』)

東浩紀氏は、自由の概念を「所有権にもとづいたリバタリアニズム的なものと、社会の異種混淆性や他者への開放性を重視するリベラリズム的なもの」(168)に分ける。前者が他者の迷惑にならない限りは何をやってもよいという自由で、後者が他者のことも考えて…

北田暁大「現代リベラリズムとは何か」(仲正昌樹・清家竜介・藤本一勇・北田暁大・毛利嘉孝『現代思想入門』)

北田暁大氏は、「リベラリズム」のアイデンティティについて、「「問い」のレベルでの共通性に同一性の「根拠」を見いだす」(163)井上達夫氏の議論に注目している。井上氏によると、「リベラリズムの自同性の根をなす問い」とは「善から区別された社会構成…

浅羽通明「日本的「自由」の困難性について-”理論武装”のためのブックガイド国内編」(『論座2005.7』)

浅羽通明氏は、「個人の独立の伸長を何より尊重し、そのための手続き、手段として法の尊重と権力の必要を認める」(72)といったリベラルの基本を、福澤諭吉が『学問のすゝめ』において宣言していたことを指摘している。そして、福澤は経済的自立と精神的自…

佐伯啓思「「真の保守主義」再生しかない」(『論座2005.7』)

佐伯啓思氏は、進歩主義の理念を纏ったリベラリズムが支配的イデオロギーとなっていることを指摘している。進歩主義には次の二つの柱がある、 (1)西欧近代社会が生み出した自由や平等、人権、個人主義(個人の尊厳)、幸福への欲求などは普遍的価値をもつ…

山口尚『日本哲学の最前線』

本書は國分功一郎、青山拓央、千葉雅也、伊藤亜紗、古田徹也、苫野一徳の思想を取り上げ、「J哲学」という日本哲学を論じている。「J哲学」について、著者は次のように述べる。 「J哲学」と呼ばれる日本哲学の最前線は≪日本的なものを哲学に取り入れるぞ!≫…

國分功一郎・千葉雅也『言語が消滅する前に-「人間らしさ」をいかに取り戻すか?』

「二人とも、極度に抽象的であることによってこそ、個別的な事例の現場に届くことがありうると信じている」(3)-國分功一郎氏が指摘している千葉雅也氏とのこの共通項のためか、二人の対談は共鳴しあっている。そして、千葉氏が語るように、この二人の「お…

布施哲『世界の夜-非時間性をめぐる哲学的断章』

シュンペーター、ラクラウ、そしてシュトラウス-この三者を論じることで見えてくるものは何か。それは、本書の帯にも書かれている「非時間性=「革命」の水脈」である。 著者は、シュンペーターの「イノベーション」「アントレプレナー」、ラクラウの「ラデ…

マルクス・ガブリエル『つながり過ぎた世界の先に』

「哲学界のロックスター」とも呼ばれているマルクス・ガブリエルが、「人とウイルスのつながり」「国と国とのつながり」「個人間のつながり」という3つの「つながり」を軸に現代を捉え、これからの世界のビジョンを示している。コラムでは、「哲学者と現代…

カトリーヌ・マラブー『抹消された快楽-クリトリスと思考』

「哲学において、女の快楽は一度も問われていない」(16)と語るカトリーヌ・マラブーの新著は、副題にもある「クリトリス」を探求し、「女性的なもの」を論じるものだ。「私は何かを証明するつもりはなく、ただ、複数の声が聞こえるようにしたい」(10)と…

西山雄二〔編著〕『いま言葉で息をするために-ウイルス時代の人文知』

本書は、新型コロナウイルスの感染拡大により、人間・社会のあり方が大きく変化していく状況下において、欧米で発表された論考とそれぞれの論考に対する訳者課題を収録したものである。訳者解題では、執筆者の思想や論考に対する解説が論じられており、本書…

ジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか?-政治としてのエピデミック』

ジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか』は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて書かれた論考が収録されている。アガンベンが前書きでも触れているように、本書の要点は「パンデミックと言われているものの倫理的・政治的帰結について省察しよ…

ジャン=リュック・ナンシー『あまりに人間的なウイルス-COVID-19の哲学』

「哲学は、その「形式」を、つまり「文体」を、つまり結局はその指し向けを渇望している。いかにして思考は自らを-思考に-差し向けるのか?」*1。本書の著者ジャン=リュック・ナンシーは、独自の文体によって、私たちが直面している新型コロナウイルス感…

谷川嘉浩『信仰と想像力の哲学-ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』

研究者ではない読者にとって、ジョン・デューイから連想するのは「哲学者、心理学者、社会科学者、教育学者、教育者、アクティヴィスト」(2)という側面であろう。本書は、これら多様な側面を描きつつ、デューイの宗教論に光を与えるものである。デューイと…

ジュディス・バトラー『問題=物質となる身体-「セックス」の言説的境界について』

「一九九〇年代以降のフェミニズム「理論」を新しい地平へと押し広げた批評家」*1で、「セックス、セクシュアリティ、ジェンダー、言語に対する考え方を変えた」*2思想家であるジュディス・バトラーの代表作の一つ、『問題=物質となる身体』*3の翻訳書がつ…